HISTORY香月泰男
香月泰男の生家のすぐ前を流れる三隅川沿いに開けた山紫水明の町、長門市三隅。その中央にある温泉郷の丘陵に位置する『香月泰男美術館』は、自然豊かな山陰の風景とみごとに調和して建っています。
『ここが〈私の〉地球だ』と言ってふるさと三隅をこよなく愛した香月は、生涯故郷を離れることなく人間愛と平和をテーマに創作活動を続けました。 彼の作品の多くは、長年香月家で大切に保管されていました。当美術館は、ご遺族よりそれらの
作品の寄贈を受け、1993(平成5)年に開館しました。初期から晩年までの油彩画、香月独特の墨を使った素描画、「おもちゃ」と呼ばれる手のひらサイズのオブジェなど、多様な作品を収蔵しています。
略年譜
戦後日本美術史を代表する洋画家。1911(明治44)年、山口県大津郡三隅村(現・長門市三隅)に生まれる。第2次世界大戦後のシベリヤ抑留の体験をもとにした57点の油彩からなる《シベリヤ・シリーズ》が代表作。 生まれ育った三隅の地で亡くなる直前まで創作活動を行った。ふるさとの自然や愛する家族を題材とした絵画や、廃材を利用して作った「おもちゃ」と呼ばれるオブジェも人気を博す。
1911年(明治44) 10月25日、山口県大津郡三隅村久原(現・長門市三隅下)に生まれる。
1931年(昭和6 ) 東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。藤島武二の教室に学ぶ。
1934年(昭和9 )「雪降りの山陰風景」が国画会展で初入選する。
1936年(昭和11)北海道庁立倶知安中学校の美術教師として赴任する。
1938年(昭和13)山口県立下関高等女学校(現・山口県立下関南高等学校)に転任する。
1939年(昭和14) 梅原龍三郎、福島繁太郎の知遇を得る。
「兎」が第3回文部省美術展覧会で特選になる。
1943年(昭和18) 応召。旧満州ハイラルへ配属される。
1945年(昭和20) 終戦。シベリヤへ抑留。
1947年(昭和22) 引揚船・恵山丸で舞鶴へ到着。
山口県立下関高等女学校(現・山口県立下関南高等学校)へ復職する。
1948年(昭和23) 山口県立深川高等女学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)へ転任。
復帰第一作となる「雨<牛>」を発表する。
1949年(昭和24) 福島繁太郎が設立したフォルム画廊にて初の個展を開く。
以降、亡くなるまで年1回フォルム画廊にて個展を続ける。
1960年(昭和35) 教職を退き、画業に専念する。
1969年(昭和44) 第1回日本芸術大賞を受賞する。
1974年(昭和49) 3月8日、心筋梗塞のため自宅にて死去。
11月、シベリヤ・シリーズが山口県に寄贈される。
1979年(昭和54) 山口市に山口県立美術館開館。寄贈作品の常設展示室「香月泰男記念室」が設けられた。
WORKS収蔵作品のご紹介
当館は、油彩、素描、“おもちゃ”と称するオブジェなど、香月家で大切に保管されていた作品を所蔵しています。その中から一部を紹介します。
![]() 兎 1939年 |
![]() 星座 1951年 |
![]() トビ魚 1951年 |
![]() ハムとトマト 1953年 |
![]() 帽子の中のトマト 1954年 |
![]() そらまめ 1956年 |
![]() 椿 1960年代 |
![]() 朝陽 1967年 |
![]() 雪の朝 1974年 |
![]() ママごと遊び 1969年 |
![]() 1969.7.20の月星 1970頃 |
![]() 日の出(日南海岸) 1972年 |
![]() 闘牛(ラスパルマス) 1973年 |
![]() セイシェル 1973年 |